昨日は、司馬遼太郎の国盗り物語を見てました。
今日は、NHKの大化改新(PM7:30〜)を見ようと思います。
皆さん、ご承知のことと思いますが、談山神社の紹介を致し
ます。紅葉の季節などにときどき小生も行きます。
談山神社HPより引用
大和多武峰鎮座 談 山 神 社
御祭神 藤原鎌足公
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極
まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中
臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しい
あり方を考えていました。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥
寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、聡明な皇太子とし
て知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえること
ができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)
の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。後にこ
の山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起
こりとなりました。ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日
本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしま
した。天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いこ
とを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠(た
いしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りまし
た。藤原の姓はここに始まります。鎌足公の没後、長男の定
慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を
移し、十三重塔を建立した。大宝元年(701)には神殿が
創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。
今日は、NHKの大化改新(PM7:30〜)を見ようと思います。
皆さん、ご承知のことと思いますが、談山神社の紹介を致し
ます。紅葉の季節などにときどき小生も行きます。
談山神社HPより引用
大和多武峰鎮座 談 山 神 社
御祭神 藤原鎌足公
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極
まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中
臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しい
あり方を考えていました。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥
寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、聡明な皇太子とし
て知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえること
ができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)
の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。後にこ
の山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起
こりとなりました。ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日
本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしま
した。天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いこ
とを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠(た
いしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りまし
た。藤原の姓はここに始まります。鎌足公の没後、長男の定
慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を
移し、十三重塔を建立した。大宝元年(701)には神殿が
創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。