South Island(癒しの楽園)

南の島(South Island)に憧憬と哀悼の感情を持って、癒しの楽園を探して、日々の日記を綴る。 中島栄次郎、ならびに、戦没者に哀悼の意を表します。癒しの楽園は、どこにあるのかわからないが、いつか、生きとし生けるもの、死せるものが、癒しの楽園に辿りつけますように。 ☆☆☆注) 中島栄次郎は、小生の母の叔父になります。母と母の妹が、中島栄次郎の著作物を自費出版したのが、『中島栄次郎著作選』です。中島栄次郎は、京都大学の田辺元のもとで、『ニイチェの研究』をしていました。大学の同期には、 松下武雄、久野収がいました。1年上の先輩には野田又夫がおられ、 中島栄次郎のライバルでした。当時、毎日新聞の文芸評論を書いていました。そのときの担当記者が、井上靖でした。後に井上靖は小説家になられました。中島栄次郎は、『コギト』の同人で、伊東静雄、田中克己たちとも交流がありました。 中島栄次郎は、戦時中は、統制化にあり、自由にものを書くことができませんでした。中島栄次郎は、一兵卒として、フィリピンのルソン島マニラ郊外の山地で戦死しました。☆

2004年11月

井上靖の詩集『乾河道』(集英社、1984年)の中の作品『手』



今日は誰にも話しかけてくれるな。私は喪に服している。
中島栄次郎が南の島で戦死してから三十七年、高安敬義
が大陸で戦死してから、この方は三十八年であろうか。
私より幾つか年少の二人の優れた友が、今晩、往年の若さ
のままで、私の書斎の戸を叩いてくれたのだ。
中島は大阪の新聞社の傍の小さい喫茶店で、カントの幾つ
かの言葉について語り、そして”では”と言って椅子をあ
とにひいた。高安の方は茨木の私の家で、哲学雑誌に載せ
た己が「倫論」の一部を読んで、そして暗い夜道を帰って
行った。それが二人との別れ。それから茫々三十余年。
私は終日、秋の気の深まる音のようなものの中に身を置い
ている。二人の友が最期に上げたであろう一本の手を瞼に
浮かべている。その手をめぐって何ものかが流れている。
粒子のようなものが、霧のようなものが、しんしんと流れ
ている。私は、今日一日、思いをそこからはなさないでい
たいのだ。私はいつか迂闊にも、二人の友の倍の年齢を生
きてしまっている。

04年11月29日

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今日、アロワナ(熱帯魚)2種類とグラフィックソフト2種
類(グラフィックというよりCGか?)が着た。
PCで、アロワナとネオンテトラが泳いでいた。
グラフィックソフトは、まだ、使っていない。
使いこなせるか疑問ですが。

夜、『忘れ得ぬ人々』(井上靖)に中島栄次郎の記事が載っ
ているのをこのブログの本のところに載せた。他にも中島栄
次郎の記事を載せる予定です。中島栄次郎という人は、
おふくろのこころの中では、生きています。おふくろは、
叔父にかわいがられ、養子にしようかといわれていました。
小生は、子供のころ、家に写真がかざってあり、おふくろ
に、叔父のことを聞きました。人のこころがよくわかり、
やさしい人だったそうです。

少しでも、中島栄次郎の供養になればと思って載せました。

忘れ得ぬ人々(井上靖)

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忘れ得ぬ人々(井上靖)

義理の弟が、古本屋で見つけた本です。
この本に中島栄次郎のことが載っています。
これを紹介致します。

人と風土(−文学自伝ー)(から引用しました。)(P304〜P305)

 新聞記者になって大阪へ住むようになってよかったと思う
ことは、そこで何人かの詩人たちと知り合いになったことで
ある。安西冬衛、竹中郁、小野十三郎、野間宏、杉山平一の
諸氏である。私はまるで違った資質を持ったこれらの人たち
から、専ら言葉に対する感覚の上で全く違ったものを教えら
れている。
 それから故人であるが、伊東静雄と中島栄次郎の両氏と知
合ったことで、自分もまた文学の仕事をしようとする勇気を
与えられたように思う。
 伊東静雄の詩集は今でも時々繙(ひもと)いてみるが、曾
てそれを読んだ時の驚きや怖れを、いまもそのまま思い出す
ことができる。詩的真実というものがいかなるものであるか
を、伊東氏の幾つかの作品から知ったことは、私にとっては
大きなことであった。
 私は、処女作の『猟銃』を書いた時、それを人を介して佐
藤春夫氏に読んでいただき、そうしたことで佐藤春夫氏にお
目にかかる機会を持ったが、その日、自宅へ帰って机に向い
、蝉の声を聞いているうちに、めまいと嘔吐感を感じて、そ
の場に俯伏した。この時私はふと伊東静雄の『庭の蝉』とい
った詩の一節を思い出した。それには蝉の声の中に、一種前
世の思いとめまいを伴う嘔吐感があることを指摘してあっ
た。私は自分の作品を佐藤春夫氏に読んでいただいた昂奮の
中で、何とも言えず伊東静雄を懐かしく思った。その時の氏
に対する親近感は、自分ながら異常に思わるほで烈しいもの
であった。
 中島栄次郎は、ニイチェの研究家で、コギトの同人でもあ
り、当時の若い文芸批評家として一部に知られていた。私は
初め新聞記者として彼に会ったが。その後彼の頻繁な来訪を
受けて、二人のつき合いはかなり深いものになった。野間宏
を除けば、中島栄次郎が大阪時代に於ける文学に関係した人
での唯一の友人であったと言っていい。
 私はいつも喫茶店で彼と話し、彼の話からここに言い現せ
ないような沢山のものを貰った。氏が戦死したことを夫人の
手紙で知った時、私はひどく落胆した。もう自分に小説を書
けと言ってくれる人はこの世ではなくなってしまったという
淋しさであった。私は中島栄次郎の書くものからは何の影響
も受けなかったが、彼に依って小説を書く以外、もうこの世
に何の面白い仕事もないのだということを知らされ、自分も
またいつかはそれを書いてみようかという気持をひき起され
たのであった。彼と会わなかったら、私は小説を書きたくは
あったが、筆を執ってみようという気持を持ったかどうか
甚だ疑わしいと思う。

               (昭和三十四年十一月)

04年11月28日(長谷寺の紅葉)

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今日は、義理弟と榛原〜鳥見山公園〜初瀬ダム〜長谷寺ま
で、12Kmを2時間30分でハイキングしてきました。
途中、農家?の人に、はやと瓜をもらいました。漬物か炊い
て食べるそうです。鳥見山までは、のぼりでしたが、それか
らは、だいたい、くだりでした。林の中を歩いて気分爽快で
した。
長谷寺の紅葉もきれいでした。デジィカメで、何枚か撮影
しました。また、写真をあとでアップします。
本尊十一面面観世音菩薩は、重文で、本堂が今年国宝になっ
たそうです。
現在長谷寺は、真言宗豊山派の総本山として、また西国三十
三観音霊場第八番札所として、全国に末寺三千余ヶ寺、檀信
徒は、およそ三百万人といわれ、四季を通じ「花の寺」とし
て多くの人々の信仰をあつめています。
帰りは、電車で帰りました。

帰ってから、榛原の温泉に行きました。

04年11月27日

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今日の朝は、お隣のYさんと、1時間30分程、
お話していました。榛原の方は、eoホームファイバー
は、申し込みして、3カ月ほどかかるとのことでした。
サポートに電話しても混んでいるみたいなので、
申し込みとか質問が殺到してるみたいです。
Yさんは、テニスもゴルフもされるので、また、
ご一緒することがあるかもしれません。

昼から、庭の踏み石を選びに植木屋さんに行きました。
その後、妹の車で、伊賀上野のアピタに買い物に行き、
冬用のシャツ2枚とトレナー1枚を買いました。
妹の服を見る間、本屋とCD屋さんで、時間をつぶし
ました。CD屋さんで、おやじが、NHKの歌謡ショーで、
越路吹雪の特集を録画してたの思いだし、CDを探し、
2枚組みのがあったので、買って帰りました。

夕方、徳島吉野川の青石(80〜100Kg)を庭に置いて
もらいました。磨けばきれいになる石だとのことでした。

明日は、近くの温泉に入り、大阪に帰る予定です。
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