South Island(癒しの楽園)

南の島(South Island)に憧憬と哀悼の感情を持って、癒しの楽園を探して、日々の日記を綴る。 中島栄次郎、ならびに、戦没者に哀悼の意を表します。癒しの楽園は、どこにあるのかわからないが、いつか、生きとし生けるもの、死せるものが、癒しの楽園に辿りつけますように。 ☆☆☆注) 中島栄次郎は、小生の母の叔父になります。母と母の妹が、中島栄次郎の著作物を自費出版したのが、『中島栄次郎著作選』です。中島栄次郎は、京都大学の田辺元のもとで、『ニイチェの研究』をしていました。大学の同期には、 松下武雄、久野収がいました。1年上の先輩には野田又夫がおられ、 中島栄次郎のライバルでした。当時、毎日新聞の文芸評論を書いていました。そのときの担当記者が、井上靖でした。後に井上靖は小説家になられました。中島栄次郎は、『コギト』の同人で、伊東静雄、田中克己たちとも交流がありました。 中島栄次郎は、戦時中は、統制化にあり、自由にものを書くことができませんでした。中島栄次郎は、一兵卒として、フィリピンのルソン島マニラ郊外の山地で戦死しました。☆

2005年09月

9月18日(日曜日、白隠慧鶴『達磨図』。)

昨日、久しぶりに、「美の巨人たち」を見ました。
今日の一枚の絵は、白隠慧鶴が描いた『達磨図』。
ダルマさんの絵です。

達磨大師はインドの香至国の王子として生まれたお方です。
のちに出家し、お釈迦様から28代目の教えを継がれて、中国
に渡られました。
嵩山少林寺での面壁九年の話は特に有名です。
その教えは慧可禅師に継がれのち日本に伝わり現在では世界中に広まっています。
禅宗では初祖達磨大師と仰ぎますが、七転八起、面壁九年の
不屈の精神は宗派を越え、誰からも親しまれ、慕われ、信仰
されています。

ダルマとは、心法で、真理を心で感じ取るとう意味だとテレ
ビに出てられた先生がいわれていました。

白隠禅師は、子供のころ、お寺の地獄図を見て、こわくて、
出家すれば、浄土に行けるだろうと思ったそうです。
晩年、地獄と浄土は、表裏であり、「南無地獄大菩薩」と地
獄を拝んだそうです。

白隠は1万点にのぼる書画を描きます。我流で決して名人上
手の書ではありませんが、墨蹟には観る者の元気を奮い立た
せる不思議な魅力がありました。

臨済禅では、座禅を組みながら「公案」と呼ばれる問題を解くことで深く自分を見つめなおし、「真人」すなわち完成された人間を目指します。この「直指人心 見性成仏」に、禅の本質があるのです。

白隠の禅画には、公案があるものもあり、コレクターがいる
そうです。

美の巨人たちのHPより引用

臨済禅・黄壁禅のHP

9月18日(日曜日、二宮金次郎)

14日(水)にNHK放送の「二宮金次郎 天保の大飢饉を救う」
を見てました。二宮金次郎の銅像は知ってたのですが、この
番組で何をした人かわかりました。

金次郎は、子供のころに、洪水で、家と田畑と両親を失い、
親戚に育てられた。子守をして得たお金で、川の土手に松を
植えた。(酒匂川にかかる報徳橋付近の松並木)
そして、天保の大飢饉で、小田原領民四万人を救済し、幕臣
になり、天保の大飢饉後の全国の村の再建に奔走。

これは、日本のデモクラシーの原点でわないかとテレビで
いっていた。

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その時:天保8(1837)年春4月

出来事:天保の大飢饉で二宮金次郎が小田原領民四万人を救済

 幕末に起きた江戸時代最大規模の災害、天保の大飢饉。こ
の時、全国の村々の救済に活躍したのが農民・二宮金次郎だ
った。勤勉の象徴として知られる金次郎だが、その名を残し
たのは大災害が続発した幕末、独創的な手法で村々の復興を
次々と成功させたことにある。金次郎は、規則に縛られる役
人達たち対立しながら、瀕死の困窮民の支援に奮闘。小田原
領民四万人を一人の餓死者もなく救うことに成功した。番組
では、知られざる金次郎の奮闘を描く。

○金次郎が学んだ論語の一節について
「己に打ち勝てば、天下はその仁徳に従う」

○金次郎が米倉の前にいる役人達に言った言葉について
「政治が行き届かず、飢饉に及んで民を死にいたらしめると
すれば、一体なんと言って天に謝罪するのか。」
「それならば、許可状が到着するまでの四日間、我々役人一
同も飢えた民同様に、断食すべし。」

○金次郎が農民達に言った言葉について
「代々同じ村に住み、同じ水を飲み、同じ風に吹かれた村民
ではないか。死ぬのを黙って見ている道理はあるまい。貧乏
人の中には怠けてそうなった者もおり腹が立つだろうが、そ
れでもなお銭一文を施し、米ひとすくいを与えるのが人情と
いうものだ。未来の実りを信じて今こそ飢餓を救うのだ。」

NHKのHP引用) 

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9月11日(日曜日、核の闇市場)

昨日だったか、ライス国務長官が、イランに経済制裁を国連
で、中国とロシアに協力を求めていくというニュースを見て
最近、核の闇市場をテレビでやっていたのを思いだしました。

パキスタンのカーン博士が、オランダからウラン濃縮の技術
を盗みパキスタンの核開発をした。開発が終わると世界各地
から、ウラン濃縮のための部品を調達して売る、核の闇市場
を作り、リビア、イラン、北朝鮮に売った疑いがありパキス
タンで拘束されている。
オランダは、カーン博士の動きをアメリカに報告していたが、
アメリカはそのとき重要視してなかったとテレビでいってい
たその後、核拡散防止条約(NPT)で取り上げられている。
パキスタンは、これについて、否認し、カーン博士を身がら
引渡しに応じず、パキスタンで、拘束されているとテレビで
は報道していた。
早期に、カーン博士の動きを阻止できていれば、6カ国協議
もする必要もなかったのに。
拉致問題でも、経済制裁のカード使えたのに。
イラクが収束すれば使える?

核の闇市場がまだ存在してたら、テロの手にわたる可能性も
ある。

9月11日(日曜日、IP携帯電話)

IP携帯電話が定額料金で使えたら、高い基本料金も払わずに
すむと思う。
携帯電話も固定電話のようにいずれIP化が進むと思います。

10日に、ジャパンメディアネットワークの「定額かけ放題携
帯」親会社株価つり上げの疑いのニュース
を見ました。

しかし、今は、技術的に可能になりつつあるようです。
WiMAXなどの無線MAN(Metropolitan Area Network)です。
検索して見ると
「鷹山、WiMAX方式を採用したFWAによるIP携帯電話サービス
を12月にも開始」
という記事もありますが、総務
省の周波数の認可待ちです。
ライブドアも周波数の認可待ちですが、しばらくは、認可は
おりないのではないかと思います。
従来の携帯電話との住み分けができるかもしれませんが、
この許可がおりると携帯電話の料金での熾烈な競争になる
こととNTTの交換機を利用している現在のシステムが使えな
くなるからです。
将来的には、IP携帯電話になると思いますが、どこで、稼ぐ
か新しいビジネスモデルが必要になるのではと思います。


9月10日(土曜日、平家はなぜ滅亡したのか)

9月7日(水)の「その時歴史が動いた」で「平家はなぜ滅
亡したのか」を放送してたのを見ました。

後白河法皇側と平家側から見た説の紹介と番組で、「身から
出た錆(さび)」と「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」のどちら
かを視聴者が携帯電話で、投票して、集計結果を番組の最後
に発表してました。

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○「通説」について(上田アナウンサーの論拠「身から出た錆」)
◆「武士の貴族化」…一般に平家のイメージとして考えられている。
番組では、事前に不特定の方々に「平家はなぜ滅亡したか」
という問いを投げかけたところ、ほとんどの方がこのことを
指摘した。
◆「傲慢」…上記に同じ。また、『平家物語』に記される
「おごれる人も久しからず」「平家にあらずんば人にあら
ず」を指摘する方も多かった。
◆「新王朝の野望」…治承3(1179)年11月の、いわゆる
「治承3年のクーデター」以降、高倉天皇の譲位・院政、安
徳天皇の即位、福原遷都を指して、平家系の王朝を確立した
ことを指す。これらは、研究者によって意見が分かれるとこ
ろもある。京の都の旧体制から離れるためのものであったと
いう指摘と自ら能動的に行動したという説もある。今回番組
では、各書物、研究者への取材を通して後者の能動的な意見
が多いと判断した。

○「新説」について(松平キャスターの論拠「窮鼠猫をかむ」)
◆「軍事貴族」…歴史学会ではほぼ承認されている考え方。
武士が貴族になったのではなく、軍事を家の職業とする貴族
であった。平家の場合、桓武天皇の血を引く貴族として臣下
に下った。その後、拠点を関東、伊賀・伊勢などに変えつ
つ、清盛の祖父・正盛の時代に白河院政に仕え、京での足が
かりをつかむ。祖父の時代には、貴族にさぶらう存在であっ
たのかどうか、グレーな部分も多いが、清盛の父・忠盛の時
代になると、殿上人(ある種の特権階級)になるなど、その
地位は高いものであった。清盛は、さぶらう存在としてのし
上がったのではなく、祖父・父の基盤の基、12歳(数え)
の時から貴族の地位にいた。
◆「窮地」…後白河法皇が清盛の娘・徳子の入内を進めたと
いう説は、研究者への取材を基に紹介している。又、法皇が
清盛(平家)への心変わりをしたことについても、研究者の
「皇位継承問題」の説をもとに、後白河法皇の歴史を読み解
き、状況証拠と推測を交え、院政維持の考えを示した。さら
に、平家一門の分散についても、研究者への取材を基に紹介している。
◆「一門の存亡」…徳子の入内、皇子(後の安徳天皇)の出
産により、清盛が政治的な野望を抱いたということは、状況
証拠により高い可能性がある。しかし、その具体的な行動と
して表れた「クーデター」への道筋を検討すると、この説が
浮かび上がる。研究者への取材をもとにしている。政治的生
命が奪われる中、築き上げた地位の保持のためという考え方である。
NHKのHPより引用)

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