South Island(癒しの楽園)

南の島(South Island)に憧憬と哀悼の感情を持って、癒しの楽園を探して、日々の日記を綴る。 中島栄次郎、ならびに、戦没者に哀悼の意を表します。癒しの楽園は、どこにあるのかわからないが、いつか、生きとし生けるもの、死せるものが、癒しの楽園に辿りつけますように。 ☆☆☆注) 中島栄次郎は、小生の母の叔父になります。母と母の妹が、中島栄次郎の著作物を自費出版したのが、『中島栄次郎著作選』です。中島栄次郎は、京都大学の田辺元のもとで、『ニイチェの研究』をしていました。大学の同期には、 松下武雄、久野収がいました。1年上の先輩には野田又夫がおられ、 中島栄次郎のライバルでした。当時、毎日新聞の文芸評論を書いていました。そのときの担当記者が、井上靖でした。後に井上靖は小説家になられました。中島栄次郎は、『コギト』の同人で、伊東静雄、田中克己たちとも交流がありました。 中島栄次郎は、戦時中は、統制化にあり、自由にものを書くことができませんでした。中島栄次郎は、一兵卒として、フィリピンのルソン島マニラ郊外の山地で戦死しました。☆

2015年03月

『フラガール』

●『フラガール』

BSで録画して、映画『フラガール』を見た。
昭和40年ごろの常磐炭鉱の福島県いわき市が舞台。
炭鉱が不況で、リストラの受け口として、
ハワイアンセンターを設立した。もともと、温泉が
あり、レジャーセンターとして、観光都市を目指した。
フラの先生とフラガールの奮闘記。
この映画が、2006年で、このころから、フラダンスの
ブームが起こったのか?
面白かった。

●テレビ東京系スペシャルドラマ『フラガールと犬のチョコ』(3月11日放送)
も録画して、見ました。
東日本大震災を乗り越えるフラガールの奮闘と愛犬チョコとの再会。
ハワイアンズの復活。

福島・東北の復興を祈ります。

http://news.mynavi.jp/news/2015/02/14/099/

Spa Resort Hawaiians

フラガール 予告 
YouTube: フラガール 予告 

梅に鶯(うぐいす)

もう、鶯も鳴いているころなのかな。

S39・2・10?発行のうぐいすの10円切手が残っていた。

この切手のデザインは、枚岡の梅林だったと思う。

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伊丹の梅林、ウイルス感染 全400本伐採へ

兵庫県伊丹市の観梅の名所「緑ケ丘公園」の梅林の一部に、果樹の病気「プラムポックスウイルス」(PPV)の感染がみつかり、市は3月9日以降に約400本の梅の木をすべて伐採すると決めた。公園には連日、最後の花を惜しむ人たちが訪れている。

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梅の名所が減るの寂しいですね。

枚岡の梅林もこんなことにならないように、祈る。

Umeniuguisu002

大阪・5月のイベントをご紹介

今日は、イベント情報のご紹介。

①第13回タイフェスティバル大阪
2015年5月23日(土)、24日(日)開催されます。
大阪城公園太陽の広場
タイ料理屋台やアーティストのステージ、ムエタイイベントなど
この催しは、全国でやってるみたいです。
http://www.thaifestival.net/

②ALOHA SUMMER FESTIVAL in Osaka 2015
5月29日(金)30日(土)31日(日)
梅田スカイビル

プログラムは、わからないですが、フラダンスが多いです。
ハワイアンのミュージック演奏もあると思うのですが。
無料です。
http://www.aloha-sf.com/

スチールギターのいるグループは、去年、ATCサンセットハワイアンフェスティバル2014
に行ったときに聞けました。
http://www.atc-co.com/event/000464/
今年は、イベントないみたいです。

住友の源流

瓢箪山の北の方に、昔は、三井住友銀行の枚岡?支店が 
あったのですが、今は、ATM端末しかありません。 
今日、商店街のブログで、知ったのですが、 
その住友グループの創業者が瓢箪山出身だったそうです。 
400年ほど前に、瓢箪山の五条に生まれたそうです。 

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織田信長が天下を目指して戦っていた頃、今より400年あまり前の元亀3年、 
河内枚岡の五條村で一人の子供が産声をあげました。 

子供の名前は理右衛門、父・蘇我平兵衛の次男として誕生しました。 

蘇我理右衛門が3歳のとき、信長による枚岡神社焼き討ちがあり、 
一家は戦乱を避けて泉州へと疎開しました。 

泉州・堺の町で理右衛門は、銅吹き(銅精錬)・銅細工の技術を習得し、 
志を胸に19歳になると京都に上ります。 

ときに天正18年、太閤秀吉の大仏造営による好景気で都は沸き返っていました。 

理右衛門は、京都寺町・五条に店を構え、屋号を「泉屋」と名付けました。 

当時、日本の銅は、大量の金銀をふくんだまま輸出されていました。 

もったいない話です、これは銅鉱石にふくまれる金銀を抜きだす技術がなかったで、 
南蛮人はそれをねらって日本から銅を輸入し、ボロもうけしていたのです。 

理右衛門は、南蛮人が灰吹法で精錬しているのを突き止め、 
みずから試行錯誤して新技術「南蛮吹き」を完成させました。 

この新技術で理右衛門は銅吹屋として大発展し、大仏用の銅を供給するまでになりました。 

京都東山・方広寺の大仏や大坂冬の陣の原因とされる「国家安康 君臣豊楽」の銘文 
のある大梵鐘の銅も、理右衛門が奉納したと言われています。 

理右衛門の妻の弟で、京都に本屋と薬屋を開いている住友政友は、跡継ぎとして理右衛門の息子を養子に迎えます。

住友家に入った息子・友以は、大阪に進出し、同業者に「南蛮吹き」の技術を公開しました。

これにより住友・泉屋は「南蛮吹きの宗家」として尊敬されることとなり、同時に大阪は日本の銅精錬業の中心となりました。

泉屋は銅貿易を基に、糸・反物・砂糖・薬種などを扱う貿易商となり、「大阪に比肩するものなし」といわれるほど繁盛しました。

泉屋はその後、銅の採掘にも進出し、別子銅山を開坑。

以後、283年間にわたり銅を生産し続け、住友は財閥へと発展してゆきました。

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http://blog.livedoor.jp/jinjamall/archives/cat_76635.html 

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蘇我 理右衛門(そが りえもん) 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E7%90%86%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80 

これを見ると、 
『1572年、河内国五條(現在の大阪府東大阪市)の蘇我平兵衛の次男に生まれる。』 
となってます。

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