20190326(火)Googleで、『中島栄次郎』を検索する。

中島栄次郎のウィキペディア
②中島栄次郎著作選について、パート2(mixiの日記)
③「中島栄次郎」でブログ内を記事検索(mixiの日記)

そして、3ページ目に、
手ー井上靖文学館|井上靖のことば
がある。

『中島栄次郎著作選』のあとがきのP505~506に、
井上靖の「手」という詩が、載っている。

「手」

今日は誰も話しかけてくれるな。私は喪に服している。中島栄次郎が南の島で戦死してから三十七年、高安敬義が大陸で戦死してから、この方は三十八年であろうか。私より幾つか年少の二人の優れた友が、今暁、往年の若さのままで、私の書斎の戸を叩いてくれたのだ。
中島は大阪の新聞社の傍の小さい喫茶店で、カントの幾つかの言葉について語り、そして〟では〝と言って椅子をあとにひいた。高安の方は茨木の私の家で、哲学雑誌に載せた己が「倫論」の一部を読んで、そして暗い夜道を帰って行った。それが二人との別れ。それから茫々三十余年。
私は終日、秋の気の深まる音のようなものの中に身を置いている。二人の友が最期に上げたであろう一本の手を瞼に浮かべている。その手をめぐって何ものかが流れている。粒子のようなものが、霧のようなものが、しんしんと流れている。私は今日一日、思いをそこからはなさないでいたいのだ。私はいつか迂闊にも、二人の友の倍の年齢を生きてしまっている。

井上靖文学館のHPに、この詩を載せていただいて、ありがとうございます。


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